最高裁判所第三小法廷 平成2年(あ)197号 決定 1990年6月15日
本籍
神奈川県鎌倉市雪ノ下一丁目三九四番地
住居
横浜市磯子区磯子六丁目四〇番三 ランオンズマンション磯子山王台二〇三号
会社役員
渡辺昭雄
昭和二四年一一月三〇日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成二年一月一七日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人古川善博の上告趣意のうち、憲法三八条一項違反をいう点は、原審でなんら主張、判断を経ていない事項に関する違憲の主張であり、その余の点は、量刑不当主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己 裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 可部恒雄)
平成二年(あ)第一九七号
○上告趣意書
被告人 渡辺昭雄
右の者に対する所得税法違反被告事件に関する上告の趣意は、後記のとおりである。
平成二年四月一二日
右被告人弁護人 弁護士 古川善博
最高裁判所第三小法廷 御中
記
第一、原判決は憲法第三八条一項に違反(憲法の解釈に誤り)があり、原判決は破棄されなければならない。
一、収税官吏が、国税犯則取締法に基づき行う質問は、犯則の疑いがあれば、調査のために必要である限り、どのようになされようとも自由であるし、その結果は質問てん末書に記載され、収税官吏が告発を行えば、領置物件等とともに検察官に引き継がれ、刑事事件の証拠として用いられることからすると、収税官吏の行う質問は、司法警察職員の行う捜査手続きとしての取り調べと極めて類似している。
ところで、刑事訴訟法第一九八条第二項は、被疑者の取り調べに際しては、「あらかじめ、自己の意思に反して供述する必要がない旨を告げなければならない。」と規定しているが、国税犯則取締法上の質問については、かかる供述拒否権ないしその告知の規定が設けられていない上、本件の質問においても供述拒否権の告知がなく、このことは取り調べ済みの質問てん末書の記載やその体裁からして明らかである。
ところで、犯則調査の法的性質については、既に最高裁判所昭和四四年一二月三日決定(刑集二三・一二・一五二五頁)で一種の行政手続であつて、刑事手続(司法手続)ではないと解すべきであるとされている。そして、このような行政手続に対しても、憲法法三八条第一項の規定する「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」との保障が及ぶか否かについては、最高裁判所昭和六二年四七年一一月二二日判決(刑集二六・九・五五四頁)が、刑事手続たると非刑事手続たるとを問わず、実質上刑事目的の資料の収集に直接結びつく作用を有する手続きには、ひとしく憲法第三八条第一項の保障が及ぶ旨判示しているところである。
そこで、犯則調査が実質上刑事資料の収集に直接結びつく作用を有することは、右調査に基づき告発が行なわれ刑事処分の対象となることからしても明らかであるから、憲法の同条項の保障は犯則調査の場合にも及ぶと解するのが当然である。
この点につき、従来の判例は、同条項は犯則調査の行政手続性を考慮し、また、その刑事手続性を考慮するとしても、告発を前提とした準備手続的なものであることに鑑み、あえて供述拒否権の告知まではこれを必要としないものと判断しているが、本件がいわゆる査察による強制調査によつて開始されていることから刑事訴訟法上の捜査手続ではないにせよ、将来告発により刑事手続きに移行する可能性が極めて大きい上、質問てん末書が犯則嫌疑者にとつて不利益証拠として用いられる可能性もまた大であつたのであり、実際にそのように取り扱われていることからして、単に告発を前提とする準備手続とは到底言いがたく、本件の質問に先立ち供述拒否権を告知することは憲法第三八条第一項の保障が及ぶものと解するのが相当である。
したがって、右質問に際しては供述拒否権の告知が必要不可欠であると解するべきであり、その規定を欠く国税犯則取締法とそれに基づく調査は憲法第三八条一項に違反し無効であるから、原判決には憲法解釈の誤りがあると言うべきである。
二、また、本件はゲーム機械によると博行為によつて得られた所得を申告しなかつた事案であつて、納税申告行為は、被告人が刑事上の責任を追及される端緒ともなるのであつて、憲法第三十八条第一項が、何人も自己が刑事上の責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保障したものであり、収税官吏の質問調査の結果は刑事上の違法行為についての捜査の端緒となるものであることからすると、本件の納税不申告行為を所得税法違反に問擬して被告人に刑事罰を科することは憲法第三八条第一項に違反するものであつて、原判決には憲法解釈の誤りがある。
第二、原判決の刑の量定が甚だしく不当であつて、これを破棄しなければ著しく正義に反することを認める事由がある。
一、原判決は、被告人に対し懲役刑については検察官の求刑のとおり懲役一年六月に処し、その刑の執行を四年間猶予し、かつ、被告人を罰金四〇〇〇万円に処した第一審の判決を支持し、被告人、弁護人の控訴を棄却したが、罰金刑を併科するのは、脱税事件について懲役刑のみを科すると各種の課税によるのみではなお当該行為者の手許に所得が残ることになる場合が想定され脱税を予防することは困難になるとの見地から、当該行為者の手許から所得税に相当する金額の範囲内で罰金刑を科することにより犯罪の一般予防・特別予防を目的としたものであると認められるが、本件所得税法違反事件について被告人の課税所得金額は合計三億三九五七万五〇〇〇円であるところ、被告人は修正申告により、所得税の本税として二億〇四一二万円余を納付しており、同額が罰金額の上限となるころ、被告人は右本税のほか延滞税二一八三万円余、重加算税七一四三万円余を納付すべき義務を負担しており、更には県市民税、事業税についても本税のほか延滞税、重加算税を納付しなければならず、各種税金の負担金額は被告人の前記課税所得金額を超過してしまう状況にある。しかも前述のとおり被告人はゲーム喫茶を開業中の全期間を通じて査察を受けたため他に秘匿している利益は一切ない。
重加算税については、所得税法違反による刑事罰との関係については、憲法が保障する二重処罰の禁止の規定に触れるとの解釈もあることから、このような被告人にとつては、罰金刑を併科すること自体が酷にすぎるというべきであつて、まして罰金額が四〇〇〇万円というのは刑の量定を誤っており、被告人にとつて余りにも過酷な刑罰であると言わざるを得ない。
更に、被告人の現在の生活状態、収入状況からみて右罰金額を完納できるかどうか危ぶまれており、もし完納できなければ労役場留置とならざるをえないが、この場合原判決は労役場留置一日を罰金一〇万円に換算するとしており、仮に被告人が罰金四〇〇〇万円に処せられ罰金額を全く納付できない場合は四〇〇日間労役場に留置されることになるが、刑法第一八条第一項により罰金を完納できないで労役場に留置する場合その期間は二年以下とされており、高額の罰金についても労役場留置期間は二年以下でなければならないことを考慮すると、一日を罰金一〇万円とした前記換算は被告人にとつて極端な不利益を科す不当なものであつて、これらの点からしても、原判決は破棄しないと著しく正義に反するものと言うべきである。